<野戦 15の秋>野戦之月海筆子テント芝居公演
編 桜井大造
9月1日(火)~6日(日) 午後6時半開場・午後7時開演
東京 立川 昭和記念公園前空地ドームテント
入場料:前売予約3500円 当日3800円
大学生留学生2500円 中高生1500円 小学生以下無料
演員:ばらちづこ 濱村篤 森美音子 渡辺薫 阿花女 ロビン みりん リュウセイオー龍 春山恵美 申源 押切マヲ 桜井大造
音楽:野戦の月楽団 原田依幸
導演:桜井大造
舞台監督:おおやまさくに
照明:2PAC
音効:羅 皓名
舞台:中山幸雄 瓜啓史
美術:李彦 春山恵里 禮榕
衣裳:裸の鋳型
宣伝美術:春山恵美 みりん
後見:新井輝久 伊井嗣晴 崔真碩 つくしのりこ ゐぞう
印刷:制作室クラーロ
制作:野戦之月制作部 押切珠喜 たお
協働製作:台湾海筆子 北京流火劇社
協力:山谷」制作上映委員会 明治大学大学院丸川ゼミ 国立木乃久兵衛 独火星 広島アビエルト プーロ舎 日本鉄構建設工業(株) 他多数の有志者
ぐぁらん洞スラム・モール」序文よりーー
導演 桜井大造
メガシティいやギガシティ・トーキョーには、そのギガ(戯画)に隠れて「トキオネシア」という群島がある、らしい。その島々は地表に露出した黒いダイヤのように団塊として「トーキョー」に偏在し、あるいはガマのように浅い地中に点在している。島々の間は網膜から出血したような伏流水で、その毛細な運河を流民たちの小舟が頻繁に行き交っている、と言われる。「トキオネシア」は風景の寄り合いではなく巨大な空間そのものであるらしく、ヒトの目玉では把握することはできないようだ。最新鋭の3次元カメラを使用しても写せるのは「トーキョー」のカタチだけだ。そもそも空間感覚というのは体感的なものなので、空気の色合いや匂い、多重な音、シルエットなどが入り交じる質感でしか空 間は把握されない。となると、「トキオネシア」空間の全体像を知るのは飛び交う鳥たちか、絶えず流動し続ける「街友」(野宿者ともいう)の体感だけだろう。私ら居留民が通常その空間と出会うのはごく稀なことなのでその破片が記憶の傷跡として残るだけだ。
「トキオネシア」はいくつかの森に分かれている、とも言われている。確かに「トーキョー」には「上野の森」や「神宮の森」、「コウキョの森」、「六本木森ビルの森」などたくさんのモリがある。しかし、これらはギガシティ・トーキョーの戯画あるいは劇場化された空間にすぎない。なかには住民のいるモリもあるようだが、過剰に装飾されているし生活空間のリアリティもないので、ヒトと共にある空間としてはひどく「荒廃」していると言わざるをえない。たとえば、「神宮の森」には巨大な亀が出現し、この森を制覇しようとしているらしい。2500億円もする豪華なガメラだが、かわりに老いた住民たち10棟のアパートは消え、この森のヒト族は完全に駆逐される。このガメラ君はじっとトーキョーが 水没する日の到来を念じている、という噂だ。
私ら「野戦之月」のテント芝居は、「トーキョーの森」ではなく「トキオネシアの森」に立つことになっている。とりわけ今回は「ぐぁらん洞スラム・モール」と呼ばれる場所だ。ここはトーキョー弁では「グランドスラム・モール」と命名され再開発され始めていた商業地域らしい。「グランドスラム」といえば「メジャー大会完全制覇」とか「満塁本塁打」などのスポーツ用語であるが、「巨大な貧民窟」と曲解することも可能だ。となると、トーキョーの「グランドスラム・モール」に該当するトキオネシアの「ぐぁらん洞スラム・モール」とはどのような場所であるのか。字義通りに、ヒトが駆逐され空っぽとなったかつての貧しい居住区だろうか? あるいは鳥たちや街友たちが感受している質感の ある空間、その空即是色が「制覇」「領土化」する意想外に豊かな遊歩道だろうか? いずれにせよ、ところどころ剥げ落ちたグランドスラムの戯画の隙間から、湧き水のように色彩や芳香、音色や光陰が湧き出す空間であることが期待されよう。
末期消費社会の最終期に生存する私らは、ギガシティの路上の伏流水に捨てられた流謫(るたく)する「空き缶」であるが、動物体という意味ではその空き缶(自分自身)を唯一の個的空間とするヤドカリのような存在体であるかもしれない。いやもはや、このような自己撞着の果てに、空き缶に残る一しずくの液体のようなつましい存在体に変じているかもしれない。だが、空き缶の暗がりにいる液状の自身を感覚するとき、同期して「なにものか」がぎっしりとそこに撓(しな)っていることに気づくのだ。それは「他者」というより「ワタシという戯画」に隠されてきた「なにものか」に違いないようだ。空き缶の中はすでにワタシだけのつましい私有地ではなくなっているのだ。居住を巡って「なにも のか」とのおしくらまんじゅう(ラグビーのモールのような状態)となる。空き缶はあまりに狭い。もはや「ワタシテ ナニ(ル)モノカ」という「格闘する多数体」に変幻してしまった私らは、居住可能性を求めて、空き缶のつましい個的空間から「ぐぁらん洞スラム・モール」に溢れ出る以外にはないのである。
このようにして私らは「がらんどう」に参集し、2つで一つのスラム(貧民街であり、かつヤドカリ族の制覇する地)を「格闘する多数体」(モール)の領土として形成する。