野草天堂 海峡と毒薬 -Strait and Poison

作/演出 桜井大造
京王線八幡山駅そば高井戸陸橋下特設テント
2006 6/01(木)02(金)03(土)04(日)05(月)

この芝居は今年2月に台湾で上演された『野草天堂・スクリーンメモリー』と対を成すものだ。『スクリーンメモリー』は台北市近郊にある「楽生療養院」と台北市の中央にある国家戯劇院(台湾の国立劇場)の2カ所で行われた。「楽生院」は日本植民地時代の1930年に、日本政府によって設立されたハンセン病の隔離施設である。小高い丘に百棟余りの医療施設、療養者住居、福利施設、納骨堂などが散在しており、現在は隣接した新病院への移住者も含めて300人弱の療養者が暮らす。この数年、地下鉄工事のために「楽生院」の解体を迫る台湾政府・台北市政府に対する療養者の抵抗運動が続いている。すでに半分ほどの建物は解体され、丘陵も両側から削り取られている。
私たちが上演した場所は「中山(孫文)堂」という集会所の中である。隣に笹川良一が寄贈した「笹川紀念館」、すぐ真向かいの旧病院の長い廊下をたどれば貞明皇太后(昭和天皇の母)が恩賜した「消毒室」に行きあたる。日本人の過去の宿業がうずくまる――というよりはこれ見よがしに屹立する空間だ。ここで芝居を立ち上がらせようとする自分もまた、この宿業の列に並んでいるのだ、という居心地の悪さは禁じえない。とはいえ、療養者の乗る電動車が居並ぶ前で芝居が立ち上がっていくさまは、やはり感動的だった。
翌週、舞台を国家戯劇院に移動して上演した。楽生院の療養者にとって、国立劇場で芝居を見物するなどという居心地の悪さは並大抵ではなかったろうが、多くの療養者が私たちの招きに応じてくれて、台湾政府の誇る高級文化施設の観客席を占めてくれた。
劇中、「野草天堂」は台湾のとある療養所の名前であった。60年前に日本から移管された療養所であり、毒殺された日本人の元院長の亡霊に悩まされているという設定である。これはそのまま「楽生院」を指示してしまうのであるが、当の療養者を前にしてこのような設定を捏造して、その歴史に介入しようとするのは、不遜以外のなにものでもない。だが、居心地の悪さに耐える、などという上品な構えではいつまでも宿業の列を乱すことはできないと考えた。乱れた列の端っこに私らの芝居は居場所を見つけたように思う。そこは実は、墓地や納骨堂に隣接した場所であった。私らの芝居にとって、死者とは隣人であり乱れた宿業の列の外部に居てそれを眺める観客でもあった。
楽生院の納骨堂に飾られていた、死してなお帰る故郷を持たない療養者たちの写真64枚を国立劇場の私らの舞台に招請したのも、私らの不遜である。

久々に東京でテント芝居をすることになった。参集をお願いしたい。

演員:ばらちづこ 根岸良一 森 美音子 つくしのりこ 井嗣晴 鈴木大介 許 雅紅 李 薇 段 惠民 アニグラカサネ リュウセイオー龍 桜井大造
舞台監督:村重勇史
舞台美術:長友祐子 中山幸雄 岩佐ひろみ
舞台:遠藤弘貴 永田修平
舞監助手:林 欣怡
照明:2PAC
音効:新井輝久
衣装:おかめ つくしのりこ 田口ナヲ
翻訳: 宗田昌人 胡 冬竹 林 于竝
通信:濱村 篤 池内文平 水野慶子
記録:田中 明 佐々木 健
印刷:山猫印刷所
制作:押切珠喜 阿久津陽子 茂木 遊 板橋裕志 秋山みどり 具 聖牧
音楽:野戦の月楽団 原田依幸
協力:差事劇團 台湾身体気象館 独火星 黄蝶南天舞踏團 韓国アジアマダン 楽生ハンセン病療養院大樹下行動小組 「山谷」制作上映委員会 竹内好研究会 広島アビエルト 国立木乃久兵衛 北九州ねこや 辛苦之王出版社 プーロ舎