作/演出 桜井大造
2009年 10月31日(土)11月1日(日)2日(月)3日(火)6日(金)7日(土)8日(日)
東京 井の頭公園西園 特設テント
井の頭公園野外劇フェスタ2009
演員:渡辺薫、リュウセイオー龍、森美音子、ばらちづこ、つくしのりこ、崔真碩、武内理恵、志衣めぐみ、桜井大造、阿花女、太田なおり、瓜啓史、伊井嗣晴、阿久津陽子、澤田羽衣
照明:2PAC、松尾容子
音効:新井輝久
舞台美術:長友裕子、中山幸雄、山本泰子、小林純子
舞台監督:村重勇史 舞台 永田修平、田口清隆
設計:宮本泰成
衣裳:裸の鋳型
通信:濱村 篤、水野慶子 翻訳 胡冬竹
制作:野戦之月制作部、押切珠喜
協働単位:台湾海筆子、北京テント小組
印刷:制作室クラーロ
協力:独火星、「山谷」制作上映委員会、竹内好研究会、国立木乃久兵衛
趙寿玉チュムパンの会、台湾辛苦之王出版社
音楽:野戦の月楽団、原田依幸、張理香
<野戦の月>が台北淡水河川原でテント公演「エクソダス」を行ってからちょうど10年が経つ。毎日昼下がりに決まって襲来する暴風とスコールで泥濘と化した土地に足をとられての舞台であった。
公演終了直後、一人の台湾人老夫による「大日本帝国万歳!」という怒号とも賛辞ともつかぬ表現は、テントにいた全員に一瞬の判断停止状態を強いたが、すぐに腹を抱える笑いの受粉に変わった。終幕直後の台湾人老夫の一発によって、「エクソダス」という芝居はテントの場を構成する全員の腑に落ちたのだった。日本の貧しいテント芝居と台湾とを媒介したのである。
かの老夫の乱調は、実はこの地域(東アジアの沿岸地域)の階調を示していたのではないか。近代史の波濤と波食、その乱調を表現し返すことで感受しあえるユーモアがあるとすれば、この海域はある種の階調のうちにあるのである。もしそうなら、表現における協働、共同は可能である。
その後<野戦の月>は、台湾人の仲間の参加を得て<野戦之月海筆子>となった。
今年の4月と8月、台湾の海筆子は集団内集団<流民寨>を結成してテント公演「無路可退」を行った。日帝敗北=復興から白色恐怖時代の乱調期に、階調をもって行動した両岸人民をめぐる芝居である。北の台北から南の高雄への移動テントで、日本の野戦メンバーが裏方で参加している。
また、今年の8月、日本の野戦メンバーもまた<蒼天空>という集団内集団を作り「八月――蒼穹のウルリム」を公演した。沖縄と朝鮮と日本の女たちの言霊を谺(こだま)が媒介していく詩劇である。
「棄民サルプリ」はこれらの行動・表現と連動して構想された。付け加えれば、来年に中国でのテント公演を準備している<北京テント小組>の動きとも深く関わっている。
棄民――原義はともかくも、現在的には「50年前以上にもっと、立体的に不必要とされている者」――つまり私、という一人称単数は、海の壁をよじのぼって、わたしたちという三人称多数に変じることができるか。あるいは、サルプリ(厄解き)を舞いながら、日本という川の水系に黄海、琉球弧の海を招きいれ、この土地と自身に取り憑いた「乱調」を哄笑高く洗い流せるか。
転生した阿Q、ヘタな魚たちが寄り合って、棄民の物語が始まる。