野草天堂 screen memory 2006/2

<序文>

「穢れ」に徹してひるむことなく!

桜井大造

 12世紀から16世紀の中世期、日本では、放浪者による「説経節」が民衆芸能として盛んであった。「説経節」というのは、路上や神社仏閣などで観客を集めて催される「語り」の芸能である。後発した日本の伝統的演劇である「能」や「人形浄瑠璃」「歌舞伎」は、この「語り芸」から題材を得たものも多い。しかし、全国的な支配体制が強化され、商品経済が発展する17世紀頃から、「説経節」は伝統芸能となることなく、次第に衰退し消滅したと言われる。
 現在残存している「説経節」の数少ないテキストのうち、「ハンセン病」者が主役の物語が2つもある。このことは、中世期の日本に「ハンセン病」罹患者が相当数いたことを示すだけでなく、「ハンセン病」自体が重要な社会的テーマになっていたことをも示している。当時、勃興した民間宗教(仏教)には、「穢れの思想」というものがあった。とりわけ、法華経の教えは、身体の欠損や皮膚の異常を「穢れ」として忌み嫌うものであった。「穢れ思想」は、日本の民衆の中に急速に普及し、根づいて、基本的には現代日本人の心理にまで繋がっているものだ。この「穢れ思想」の普及ゆえに、外見に症状が出る「ハンセン病」者は、徹底した差別のもとに置かれ、集落や家庭から放逐され、路上や特殊な集団に身を置かざるをえなくなったのである。
 日露戦争の勝利によって、後発帝国主義国家となった日本は、民衆の「穢れ思想」を背景として「ハンセン病」罹患者の隔離政策を開始する。人権をまったく無視したこの政策の意味は、後進国には「ハンセン病」罹患者が多いとされることに対して、日本近代化の進捗を世界に示すためであった。日本国内に10カ所余りの療養所を設けたのを皮切りに、1916年、朝鮮に小鹿島療養所を、1930年には台湾に楽生院を、1939年には偽満州国に同康院を設置した。また、1942年には、南太平洋のナウル島にいた40名の「ハンセン病」罹患者を、欺いて船に乗せ海に流したのち、砲撃して虐殺したのだった。日本民衆の偏見と日本国家の近代主義がセットとなって、「ハンセン病の撲滅」ではなく、「罹患者の撲滅」という残虐が行われたのである。
 日本敗戦直後、光復直後にはすでに、「ハンセン病」には危惧するような伝染性がないことが証明され、抜本的な治療薬も発見されていた。しかし、日本においても台湾においても、「ハンセン病」患者の隔離政策は強固なままであった。60年代以降、国際的な批判の高まりを巧妙に回避しながら、民衆の差別意識・偏見を利用した国家による放置と不作為が、ついこの現在まで続いてきたのである。

 私たちは、楽生療養院で公演を行う。「野草天堂」は、放浪芸能である「説経節」のいくつかの物語から想を得た演劇である。しかし、中世の物語をトレースして現代化するとか、「ハンセン病」を題材とするという意味ではない。劇場芸術にいたる以前の放浪芸能のありかたに、着想をもらっているという意味である。当時、路上や神社仏閣に参集した芸能者と観衆たちは、「ハンセン病」を含む様々な社会的テーマをどのように伝達しあったろうか? それはどのような「反省の形式」を発見させたろうか?
 その場はどのような共鳴の器となったろうか?現代演劇という表現はすでに、劇場で消費される単一で固定された「情報」に過ぎなくなっているように思われる。情報サーキットとしての劇場の中では、演員も観客もまた一点の情報に過ぎず、それがよりよく消費できるかどうかだけが価値である。ここでは、伝達も反省も共鳴も値札のピンで留められ、連絡しあったり、変形を被ったりすることがない。
 現在は過去と交流できないかのような錯誤が舞台に敷き詰められ、時間の扉はイメージとなってのみ映写され、歴史の門はアーカイブスという名の天上の彼方だ。
 今回、私たちは逆立ちする幽霊のような面持ちで、あるいは死滅した生命の泥によって生育した野草のような所作で、この演劇の「場」を作るだろう。「穢れ」に徹してひるむことなく、楽生療養院とともに、歴史の泥濘に入るつもりだ。
 
……但我坦然,欣然。我将大笑,我将歌唱。

 <登場人物>
  賄い婦・照手姫
  狐憑依的母・葛葉
  潮汲み者的姐・安寿姫
  探偵的弟・厨子王
  野草天堂的巫女・乙姫
  放浪説経師・愛護
  野草天堂的院長・山椒太夫
  餓鬼阿弥・小栗
  漢方薬商人・もう一人の小栗
  放浪学生・身毒丸
  墓場盗掘者・辛
  手紙配達人・苦


【移動演出場次及入場洽詢】

◎樂生療養院内半山坡的中山堂(台北縣新莊市中正路794號)洽詢電話:0968-418663
(頼小姐)

時間:2006年2月5日(日)(大年初八)下午5點,只有1場。

入場説明:本場次為樂生院義演,邀請樂生院阿公阿媽們免費觀賞;同時歡迎非樂生院
院民的朋友們前來觀賞,請欲觀賞本場次的朋友們,於2/2(四)前註明姓名/Email/電
話/人數,Email至haibizi2006@yahoo.com.tw 或傳真至02-2356-8362,經確認後可取
得優先入場順序。本演出由「海筆子」獨立製作,所有工作人員不支薪,請前來觀賞的
朋友們準備250元的紅包,贊助演出製作費,謝謝!新年快樂!

交通:請參考籌備網頁 http://blog.xuite.net/sourtime/2005/4592553

◎國家戲劇院實驗劇場(台北市中山南路21-1號)
時間:2006年2月11日(六)晩上7點半,12日(日)下午3點,共2場。
票價:400元(2/ 6(一)以前預購票9折,學生票9折,10張以上團體票85折)
購票請洽兩廳院售票系統 http://www.artsticket.com.tw 電話:02- 3393-9888

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【台灣演劇集團「海筆子」】
1999年,編導櫻井大造率日本劇團「野戰之月」,在三重市的河岸公演了帳篷戲劇
《Exodus(出核害記)》。第二年,「差事劇團」公演帳篷戲劇《記憶的月臺》,其後我
們舉行了自主稽古戲劇工作坊,?外參加了秦Kanoko舞踏公演等,通過各種方式,我們
與臺灣的表現者一起走到了現在。東京的劇團「野戰之月」一方面堅持在日本的公演,
一方面在臺灣用「海筆子」這一與臺灣人共同行動的演劇集團名稱,以臺灣作爲?一個
活動據點,進一歩推動行動計劃。2005年3月在台北市同安街底空地策劃台灣帳篷戲劇
《台灣Faust》。之後,「海筆子」成員走進樂生療養院, 8月開始,持續毎個月月底
在樂生院籌備結合音樂、劇場、影像、裝置、自己來市場等元素的【音樂・生命・大樹
下】行動,並在櫻井大造的提議和贊助下,為大樹下行動搭建舞台。?,秦Kanoko、朱
正明、許雅紅、李薇以個人solo參與大樹下925劇場身體行動。

「海筆子」不只是演劇集團,更是行動的名稱。雖然以臺灣爲據點,但這並不是單單爲
臺灣人的行動計劃。在地理上被稱作東亞的領域,從中國南海到臺灣海峽,從東海、黄
海到日本海,都好像漂浮的“水草”,所以如此命名。似“水草”般無所依憑的弱小力
量=身體的表現,這一地區近代的歴史性是如何與現在的區域政治學?撞、鬥爭,又是
怎樣介入的。且把它當作假説,但,這正是“劇場”所憧憬的。

【工作人員表】
製作演出/台灣演劇集團「海筆子」
編 導/櫻井大造
演 員/櫻井大造、秦Kanoko、林于竝、李秀?、朱正明、許雅紅、李薇、段惠民、
林欣怡、陳惠善、林信宏、流星王・龍
編 舞/秦Kanoko
音 樂/坂本弘道
舞台監督/村重勇史
舞 台/遠藤弘貴、村重勇史、段惠民、孫銘?
舞台美術/柯?峰、秦毓智
燈 光/呉啓新Friday、李湘陵、劉繕惟、林慧蓉、朱家聖、陳佳?、李沐恂、鄭嘉

服 裝/林依?、豐福教子、陳香伶Erica、Okame
音樂執行/陳俊樺
翻 譯/林于竝、胡冬竹、宗田昌人
宣 傳/王思?、林怡卉
平面設計/秦毓智
影像紀録/陳又維、陳芯宜、蔡詠晴bibi、倪武宏、平烈浩
票 務/蒋友竹、鄒欣寧
前 台/謝一誼、陳乃華
製 作/許雅紅、林欣怡、頼澤君
協 力/王墨林、鍾喬、瓦旦●塢瑪(蕭振君)、吉井孝史、柳春春阿忠、許玉盞阿姨、
鴻鴻、夏夏、陳淑惠、巫祈麟、Marco Casagrande、李?、許逸亭、劉峰、劉秦萱、藍
貝芝、小李飛鷹、秦嘉?
企 畫/海筆子、水田部落工作室
特別感謝/樂生保留自救會、差事劇團、?嶺街小劇場、柳春春劇社、角落劇團、黄蝶
南天舞踏團、辛苦之王出版社、地下社會、樂生那?西、青年樂生聯盟、大樹下行動小
組、日本野戰之月劇團