“花に嵐のたとえもあるさ” 

池内文平

 あまりにもばかばかしく、脱力を強いるような言説が横行していて、このところ(あきれて)モノも言えない状態だったが、ここはなんとか踏んばって戦闘的なこころもちを回復させ、気分よく「秋の芸術シーズン」をむかえたいと思う。
 まずは、2001年9月11日のWTCビル爆破に関してである。
 これにはぼくも少しは反応して、その年の12月の芝居(独火星『九龍の蛆虫ども』第一部「火の記憶」)では、それまでの構想を大幅に改変して「真正面」からとりくんだ、つもりだ。これには、観る側からいささか過剰とも思える反応がかえってきた。
 「文字で書けることを芝居にすることへの懐疑」という、ちょっとわからないものから、久々に政治とシバイの関係についての論議、もちろん、このテロ行為そのものに対する賛否(賛、は少なかったけど)まで、花ざかりともいえる活況であった。
 むろんぼくは、サイードのいうプロパガンダの問題はさておくとして、テロそのものは権力を持たない被抑圧者が権力(者)に対して思いもよらない仕方で反抗を試る行為だと思っているので、すべてのテロには納得できる根拠があるという立場である。だからぼくは、テロ=悪という現今のイデオロギー操作を目のあたりにするとき、なんとか「テロ」という「ことば」を「悪の道」から救い出したいという求道的精神さえ思わずにはいられないのだ。従ってビン・ブッシュ(ブッシュの息子)が「帝国主義につくのか、それともテロの側につくのか」と厚かましくもひとに態度の表明を迫るとき(ショー・ザ・フラッグ)、「どちらも悪い」とは思わずに、ついテロの味方をしたくなってしまうのである。
 そんなぼくの気持ちは、確かに前回の芝居には隠しようもなく出ていたと思う。――全世界がおまえを否定しても、いや全世界がおまえを否定するのだから、私だけは、少なくとも私のココロに忠実な私だけは、君から目を離さず諾(ウイ)といおう。(――といいたいところだが、今回に限ってはそうは言いきれなかった。その理由はあとで述べる。)
 この芝居にはたしかにそう感じさせる部分があって、それに敏感に反応してか、あるいはやはり時節柄か(すでに合州国軍らによるアフガン攻撃は始まっていた)、とにもかくにも論議は久しぶりに芝居と世界のあいだを往還していた、ように聞こえたし、ぼくもあいかわらず酔っぱらって論争的に話してはいたのだ。
 ところが、まぁそういう、ぼくにしてみれば緊張もし幸福でもあった時間があったにしても、芝居の眼目というか真面目はそのことだけにとどまるものでもない。そんなにスッキリしたものでもなく、もう少し悪意を含んだコントンとした何者かである筈だ。これは「芝居はプロパガンダではない」ということではなくて、プロパガンダにもなりうるけれども、それにとどまらそうという力はいとも簡単に解体されてしまうという芝居の性格に関する問題である。それは集団の関係性から説けば解けると思うけど、いまはやめとこ。めんどくさいから。
 それで、前回の芝居にもどるけど、ぼくはそこで熱意をこめて9月11日の「テロ行為」に賛意を示そうとしたわけでも、ましてこの世界を解釈しようとしたのでもない。あえていえば、この現在にあってもなお犯罪や恋愛の心理をシバイに仕立て、それを成立させる情熱があるのだから、それと同等の情熱をもって政治の、いや世界の心理(!)をシバイに仕立てようとしたにすぎない。これは当初から変わらない「独火星」の一貫したスタイルでありスタンスである。
 それはだから、世界を解釈するのではなくて、逆に世界のほうから解釈され、標本箱の中にピンで留められた者の、からだに突き刺さった針のその穴から覗いた世界の姿なのである。なぜなら、世界は、この紙の上にのっている空虚なコトバを写した文字などではなく、こういってしまえば身もフタもないが、やはり核爆弾をいくつも身にまとったキメラのような実体だからである。そしてそのキメラの実相をみようとするなら、やはりキメラ(世界)自身が自分とはあいいれないと判断し、あるいは不要と断定したモノを自らの身からひき剥がそうとした瞬間を記憶にとどめ、わずかにあいた空隙から仰ぎ見るしかないからだ。
 とはいっても、ぼくはべつにブレヒト主義者ではないから、芝居で今日の世界を再現しようと目論んでいるわけではない。ブレヒト自身がどう考えていたかは知らないけれど、どっちに転んでも、シバイはウソ半分・ホント半分なのだから、ぼくらとしては、もし世界が百のウソをついているのならその倍のウソをついて二百ぶんのホントらしさなんてウソに決まってるとホントのことをいい、もし五十しかホントのことを言ってないなら、五十ぶんのウソのまえの五十のホントなんてその半分にもウソが混じっていると、ウソつきの顔をしてまたしてもホントのことをいって、その二十五のホントのむこうがわのウソを手前に引きずり出してやるばかりなのだ。むろんこのウソとホントの関係は弁証法的なそれであることはいうまでもないことだが。――あれ? これって、ウソ? ホント?
 というわけで、もしこれがホントならば、ぼくはブレヒティアンではないかわりにダイアレクティシャン(弁証法主義者)になってしまうわけだが、いずれにしても、世界とぼくらの間柄は入れ子のようなもので、いまいったキメラのたとえはそのことを前提にしたことなのだ。だからたとえばぼくらが〈もうひとつの世界〉といったり〈われわれの時間〉とかいってるのも、当然そのことを踏まえたうえでのことで、対立的ではあるが、まるごとひとつの〈世界〉には違いないのだ。そうでなければ世界はどこからも変容しないし、もし本気で別の、どこか複数宇宙からか、あるいは超歴史的な「まつろわぬ民」みたいなものに、(ホントにもし本気で)仮託してこの邪悪な世界を――いまはできないけれども、いつか――打倒してやろうなどと考えるなら、それは無邪気な夢であるまえに、権力者たちがいつもいだき、ひとびとを煽動するために使ってきたあのイデオロギー・「エイリアン思想」のちょうど裏がえしであり、それと何らかわりがなくなってしまう、ということになる。
 くり返すが、世界は可変であり、それを変えるのは、いまあるわれわれではない〈われわれ〉であり、それは、いまあるわれわれが変容した〈われわれ〉以外ではないのだ。だいいち、そうでなけりゃ、せっかく帝国主義本国に育ったカイがないではないか。
 と、まあ、以上はあたりまえのことだが、もういちど9月11日にもどってみよう。
 ぼくは、あの高熱で融かされたビルの躯体の金属や窓ガラスがいっしょくたになって崩れ落ち、飛び散った破片のひとつを「希望と絶望のアマルガム」と芝居のなかで呼んだのだけど(素材がちがうので“アマルガム”とはいわないと言うなかれ。“合金”のメタファーなんだ)、もちろんそのアマルガムは2001年9月11日になってはじめてぼくらの目の前にあらわれたのではない。束の間の希望の先にある絶望、そして絶望の深さを知ったうえでの希望は、いまここにある世界に通じるすべての時系列のなかに埋もれてあったのだし、カウントされない死者の数と、その死者だけに通じるコトバをもつ者の数だけは、少なくともあったのだ。
 だからといって、ぼくは、9月11日は特別な日ではない、といってるわけではない。それは特別な日であったのだ。世界がその凍ったまなざしで一瞥し、記憶の端にも残していない膨大な時と場所と人間が、ある日、特別な日をむかえたように、それは特別な日なのである。
 それだからぼくは、それを「セプテンバー・イレブン」とアメ国メディアのすり切れた用語を横ながしして恥じることなく言ってみたり、あろうことかその地点を「グランド・ゼロ」といって深刻さをすり替えてしまう態度は、フザケテルとしか思えないのだ。ではぼくたちはUSA(ユナイテッド・ステイツ・オブ・アグレッションと読むらしい、さいきんは)のアフガン爆撃の日を「オクトーバー・セブン」と言うのか? ワシントンDCの街角に血文字で「10・7」とかきなぐられているなら、はなしは別だが。
 あるいは、広島は「プラス・ゼロ」で、ニューヨークは「マイナス・ゼロ」とでもいうのだろうか?――こうして空虚なコトバは書かれた文字から脱色されてゆく。抽象化して歌うように記憶されるのではなく、ひとの、人間の、私たちの血の色を消し去るようにして。
 と同時に、「同時多発テロ」という、ちょっと真剣に検討されなきゃならない用語も、まるで9月11日を修飾するためだけに用いられていて気味がわるい。それはたしかに同時・多発・テロではあったのだ。9月9日に「北部同盟」司令官・マスードが暗殺されていたのだから。ぼくは、マスードのことを長倉洋海さんらの著作で知っているだけだけど(中村哲さんにはあまり評判がよくないみたい)、ひそやかに肩入れをしていたのだ。それがアルカイーダによって(!)殺された。こうして戦略的に策定された今回の「同時多発テロ」は、9月11日以降のアフガニスタンのゆくすえを決定的に変えてしまった。マスードのそれまでの言動を考えれば、マスードがもし生きていればUSA軍らによるアフガン空爆には少なくとも反対していただろうと思うからだ。――これがテロにはあまり文句をつける筋合いのないぼくが、今回だけは、あらゆる非難を被っても諾とする決意をにぶらせる、ひとつの理由である。
 紙数も時間(シメキリがある)も尽きた。シリキレで申しわけないが、この続きは、いつかどこかで。
 ココロは晴れない。少しは戦闘的になったが、楽しい「秋の芸術シーズン」は迎えられそうも、ない。

(独火星)