〈野戦 17の秋〉野戦之月テント芝居公演
作●桜井大造
9月14日(木)~18日(月・祝)
午後6時半開場・午後7時開演
東京 井の頭公園西園文化交流広場(ジブリ美術館となり) 特設テント
料金:前売予約3000円 当日3500円 外国籍者・大学生2000円 中高生1500円 小学生以下無料 (二度目から2000円)
演員:ばらちづこ 森 美音子 みりん 春山恵美 押切マヲ 崔 真碩 渡辺 薫 ロビン リュウセイオー龍 申源 楊 璨鴻 矢野玄朗 桜井大造
音楽:野戦の月楽団 原田依幸
導演:桜井大造
舞台監督:おおやまさくに
照明:瓜 啓史 2PAC
音効:羅 皓名
舞台装置:渡辺 薫 小童 森 温 風間竜次
舞台美術:春山恵里 中山幸雄
宣伝美術:春山恵美 みりん
衣装:ヒグマエリカ 五反田まり子
通信:韓氷 丸川哲史 水野慶子
協働:海筆子16-18(台湾) 北京流火テント劇社(中国)
制作:野戦之月制作部 押切珠喜 今泉隆子 たお
後見:新井輝久 根岸良一
協力:「山谷」制作上映委員会 明治大学大学院丸川ゼミ 国立木乃久兵衛 独火星 広島アビエルト プーロ舎 他多数の有志者
<クオキイラミの飛礫 ワタシヲスクエ!>
桜井大造
今年の私たちのテント行動は、この東京井の頭公園での公演が3度目である。4月は北京市の3箇所にテント場が立った。公演主体は「北京流火テント劇社」だが、いつものように「野戦之月」「台湾海筆子」メンバーとの協働公演である。6月は東京明治大学にテントが立った。こちらは野戦之月と丸川ゼミとの共同試演会で今年で3年目となった。12月には台湾台北市で「海筆子16-18」主体のテント公演が予定されている。また、テントは立てなかったが、7月には済州島南部のカンジョンという村で「テントワークチョップ」が行われた。長期にわたる韓国海軍基地建設反対抗争の現場である。必然というか、銃を構えた歩哨の立つ海岸線の壁の前が「ワークチョップ」の広場となった。
それぞれの土地では、テントの形状も芝居の内容もまるで違うものとなる。私たちのテント行動の基点は、その土地・クニに暮らすものが体感する苦(まれには快)である。それが直接的にその本人の苦とは限らないにせよ、自分の身体の周辺に偏在する苦を共振と共感をもとにいったん引き受けるのである。それを大鍋に入れて煮詰めるわけだが、その鍋に他の土地・クニの苦が入りこんでくるのが私たちのテント行動の特徴だ。鍋に熱を与えるのはもちろん観客であり、その土地・クニに固有のテント場である。
クオキイラミは単に「未来記憶」を逆さまに読んだ造語である。未来記憶(あるいは展望記憶)という言葉は、明日以降の自身の行動や姿を現時点で計画し記憶することであるらしい。現在の日常現実はこの記憶を基本として移ろっていくようだ。そこにはやらねばならない仕事や約束が詰め込まれているわけだが、それを支えるのは「ワタシの希望」であろう。逆に言えば、「ワタシの希望」を再生産できないかぎりワタシはこの日常現実を快適に送ることはできないということになる。これが難しい。「ワタシの希望」を発信するのは「大脳」だが、それを再生産するのは生身の身体だからだ。ヒトの身体は周辺とつながることで身体であって、唯一無二の「ワタシ」のものではない。にもかかわらず大脳が希望するのは単体としての身体の増強、あるいは身体の消去である。要するにサイボーグ化かアンドロイド化を希望しているということだ。この希望に沿うことはできない――これはおそらく私たちの祖霊たちや将来の未生の子供たちからの呼び声であり、その呼び声は実は現存する「ワタシの喉仏」から発語されているようだ。ここに闘争点があるのかもしれない。
戻ってみれば、このTOKIOネシアは「末人(まつじん)世界」の先頭にあると感じられる。そして末人の悲哀と絶望感を「ワタシの希望」が着々と上書しているように思われるのだ。「未来」というよりは「末来(まつらい)」が到来しているわけだが、さて私たちのテント場はこのTOKIOネシアでどのような対抗を出来させるだろうか。